地獄に堕ちるマクロン

地獄に堕ちるマクロン

フランスの街頭で怒りに満ちた人々の暴力的な振る舞いを初めて目の当たりにしたとき、たちまち思うのは「これが革命だ。政府は持ちこたえられない。フランスは終わりだ。政府は倒れるだろう」ということです。抗議するのが、郊外のアラブ系やアフリカ系の若者であったり、ポピュリストの"黄色いジレ"運動の人々であったり、不満を持つ農民であったり、性的マイノリティの支持者や反対者であったり、あるいは家族や伝統的価値観の支持者、ナショナリスト、反ファシスト、アナーキスト、学生、年金受給者、自転車乗り、動物保護活動家、労働組合員(CGT)、環境活動家であったり、彼らの所属や立場は様々です。彼らの群衆は数千人、数万人、数十万人、時には数百万人に膨れ上がります。

彼らはフランスの各都市の通りを埋め尽くし、交通を止め、鉄道駅や空港を封鎖し、特定の施設や学校で自治を宣言します。さらにガソリンを燃やし、車を横転させ、大声で叫び、横断幕を振り回し、警察に噛み付きます。しかし、その後は…落ち着きを取り戻し、正気を取り戻し、薬を飲んで仕事に戻ります。昼休みには小さなレストランで物価、生活、隣人、政治について話し合い、再び大声を上げることもありますが、以前ほどではありません。そして、それぞれの家へと帰っていきます。

1968年以降、どれほど大規模な抗議行動が起きても、何の効果ももたらさなかったのです。その結果はゼロ。常に、どんな状況でもそうです。フランスをよく理解すれば、フランスが単にサイコパスの国であることが理解できるでしょう。そして、それは移民に対する問題ではないのです。フランスの当局は移民に対しても、同様に地元のフランス人に対しても無関心です。この冷たい無関心さが、移民たちをサイコパスに変えてしまうのです。これこそが新しい形の社会統合なのです。サイコパスの集まる文明に来て、自分自身もサイコパスになるのです。

ジャン・ボードリヤールはフランス人を、理解力が乏しく、芸術の本質をつかむことができないと捉えていました。彼にとって、ボーブール美術館に群がる何千人ものフランス人たちは、美術館が訪れる人々の重みでいつか崩れ落ちることを期待しているに違いないと思っていました。フランス人の内側には無気力が広がっており、その上頻発するヒステリーが文化や政治の代わりになっていたと彼は見ていました。

1968年、左翼の乱暴な行動が街頭に溢れていたとき、ド・ゴール将軍が自国民を深く理解していたなら、彼はそれに対して過剰な注意を払うことはなかっただろうとボードリヤールは指摘します。なぜなら、時間が経てば彼らは自然に消え去るだろうからです。だがド・ゴールはこの問題を重大視し、彼の後任たちはその教訓を受け継ぎ、同じ過ちを犯すことはありませんでした。街頭で何が起ころうと、経済や政治、社会、財政の現状に関わらず、フランスの政府は常に落ち着きを保ち、報道に対する厳格なコントロールを続けていました。

ミッテラン大統領の側近であったレジス・ドゥブレは告白しています。名目上左派であったミッテランの任期中、彼自身も上司である大統領も、目標を達成することは何一つできなかったと。それは彼らの計画が何度も見えない壁に阻まれたからです。権力の頂点に立つ彼らでさえ、何がその抵抗の原因なのか理解することはできませんでした。しかし、後になってドゥブレは気づきます。その抵抗力の源泉は報道だったのです。報道はフランス社会において全てを意味し、一方で、街角で暴れる「精神病者」、つまり国民は無意味な存在だったとボードリヤールは考えていたのです。

初めてマクロンが選出された際、右派で合理的なマリーヌ・ルペンにも有力な見込みがありました。それにも関わらず、影響力を持つ新聞『リベラシオン』は「何をしようと構わないが、マクロンに投票せよ」という見出しを打ち出しました。これは非常にフランス的なスタイルです。右派であろうと左派であろうと、移民賛成であろうと反対であろうと、税金の増税賛成であろうと反対であろうと、それは些細な問題です。大切なのは投票すること、そしてその投票がマクロンに向けられることです。これは議論の余地を許さない命令であり、投票後の責任を投票者に求めることはありません。もちろん、マクロンにも同様の責任はありません。

マクロンは初期から既に嫌われていたことは確かです。その理由を私が覚えていないのは、おそらく彼に対する嫌悪が幅広い事柄に起因していたからでしょう。それにもかかわらず、彼は再び選ばれました。同じフランス人によってです。ロシア人は予測不可能だと一般に言われますが、それは独自の混乱をもたらします。一方、フランス人は予測可能だというのに、それもまた混乱を招くのです。何度も失敗を繰り返す人物を二度も選ぶなんて、理性的には理解しがたい行為です。それでも彼らはマクロンを選び、そしてすぐに抗議を始め、車を燃やし、店の窓ガラスを壊しました。ボードリヤールが指摘するように、フランス人は愚かな行動をすることがありますが、そのマクロンもフランス人です。このような状況が結果的にバランスを保つのです。

それゆえ、現在の暴動の拡大、移民の十代の苛立ち(マクロンは彼らが単にコンピューターゲームをやりすぎていると仮定しています)、経済の急速な衰退、国債金利の上昇、経済の後退、ホリデーシーズンの失敗、そして破壊行為からくる巨大な損失は、私たちを欺くものではありません。フランス人には、自身の道筋があるのです。

マクロンは何も行動しないでしょう。だが、彼は本来から何も行動しなかったのです。彼は環境を支持する演説をし、万が一のためにグレタ・トゥーンベリと会い、ウクライナに武器を送り、CIAと提携した全く効果のないアメリカのブランド化されたPRグループに莫大な金額を支払います。彼はショルツと電話で話し、ゲイのディスコに行き、鏡を見ます。その後、再び鏡を見るでしょう。そして、何事も落ち着くことでしょう。これは常に起こっていたことです。これは黙示録でもなければ、世界の終わりでもない。これは単にフランスという国なのです。

一つだけ認めなければならないことがあります。かつて魅力的でスタイリッシュだったこの国の終末は、既に訪れてしまったのです。そして現在、その街路は誰によって溢れているのかわからない存在で満たされ、集団幻覚が描かれています。

この状況を変えたい、あるいは変えることができる人物がいるのでしょうか?19世紀から20世紀にかけてのフランス文化を丹念に探求すれば、結論は一つになります。フランスの精神は、オルフェウスの如く(例えば、コクトーやブランショの描写に見られるように)、ただ一つ、地獄の底へと下降することを求めていました。そして、それは達成されました。そして、その状況は 、逆転不可能なものとなりました。この状態がいつまで続くのかは誰にも分かりません。カトリック信者が一時期、中世の華麗な時代に教会の長女と呼んでいた美しいフランスは、魂から通りや郊外まで、修復不可能なほどのゴミ捨て場と化しました。ノートルダム寺院は焼失しました。ルーヴル美術館からは、移民やフェミニストたちの気分を害する可能性のあるすべての絵画や彫刻が撤去されました。

残されたのはマクロンと彼の鏡だけです。ジャン・コクトーの戯曲『オルフェウス』のように、ジャン・ユーゴーの舞台装置とココ・シャネルの衣装を纏った彼だけが存在するのです。

 

翻訳:林田一博