「オートアーキー・帝国の主権的経済」
プライマリータブ
かつて私の知人であり、大実業家かつ愛国者だったミハイル・ユーリエフは、対外貿易収支がゼロである理由について深く考察していました。彼はその結論で、対外貿易をまったく行わない、すなわちゼロの状態が理想的であると指摘したのです。この洞察に基づいて、彼は『ロシアの要塞』という興味深い書籍を執筆しました。その主旨は、ロシアが世界から閉ざされ、自国の伝統的価値観だけに基づいて自律的な社会を構築すべきであるというものでした。言い換えれば、理想的な対外貿易収支を望むなら、そのように行動すればよいということです。この思考回路は非常に創造的であり、生産的でもあります。
しかし、この考えには一つ大きな問題が横たわっています。それは、外部からしか入手できない必要な資源や商品、技術の不足です。厳格なゼロの対外貿易収支という理想的な状態は、その国が全ての必要な物資や情報を自給自足できる場合にのみ実現可能です。つまり、全てが国内であり、外部の助けを必要としない状態であることが前提なのです。
このような自足経済の考え方は「オートアーキー」と呼ばれます。自由主義の枠組みで教育を受けた経済学者にとって、この言葉はまるで「タブー」や「異端思想」のように聞こえるかもしれません。しかしこの自足経済の理念を支持しているのは、決して周縁的な人物たちではなく、フリードリッヒ・リストやジョン・メイナード・ケインズといった経済思想の巨匠たちです。
最も説得力のある理論の構築に成功したのはフリードリッヒ・リストであり、彼の考えは「大空間の自足経済」として知られています。リスト自身は、ドイツの哲学者ヨハン・ゴットリーブ・フィヒテが「閉鎖的商業国家」という著作で展開した理論と、19世紀アメリカの経済実務についての綿密な研究によって、その視点が形成されたと言えます。
このように、自足経済というコンセプトは一見異端に思えるかもしれませんが、歴史と経済学の中でその価値と重要性がしばしば議論され、実践されているのです。
フリードリッヒ・リストの論理によれば、経済的、産業的、財政的に高度に発展した国と、それに大きく遅れをとる国との間で、全ての貿易障壁を取り除くと、その結果は両国の経済発展が均等になるわけではなく、逆に先進国と後発国との経済格差は拡大する一方であると指摘されています。具体的に言えば、先進的な経済体制は後発の経済を吸収し、後発国に自立的に成長する機会を一切与えないのです。後発国の経済成長は表面的なものに過ぎず、その代償としては経済的な主権を完全に放棄することが求められるとされています。
このような厳しい状況に直面している後発経済には、何ができるのでしょうか。解決策として、後発経済はより先進的な経済体制に対して閉鎖的な態度を取るべきであり、それだけでは停滞に繋がり易いとされています。しかし、この後発経済が地理的、人口的、資源的に広範な領域をカバーしている場合、特に文化的、歴史的、文明的、民族的な側面で近い社会群が存在する場合には、「大空間」としてその潜在能力を開発することが可能です。既にこのような「大空間」が存在する場合には、先進的な競合相手から身を引き、その潜在能力を最大限に発揮するために集中するべきです。逆に、このような「大空間」がまだ存在しないか、もしくは不十分である場合には、関税同盟(ツォルフェライン)という手法を活用して、必要な範囲を確保するべきなのです。
中小規模な国家においては、自給自足の状態、すなわち「自力独立」を達成することは難しく、大国でさえそのような状況を維持するのは至難の業とされています。ただし、規模が極めて大きな国家、いわゆる「帝国」となると、自力独立が可能になるのです。このような理由から、帝国の形成は経済的にも不可欠な措置と言えるでしょう。実際、ビスマルクはフリードリッヒ・リストの考えに基づき、中欧におけるドイツ系の国々と「関税同盟」を築き上げるとともに、ドイツ帝国を成立させました。この戦略は経済的にも成功を収め、後の発展の礎となったのです。
ロシアの著名な経済学者アレクサンドル・ガルーシュカによれば、スターリンはフリードリッヒ・リストの思想の後継者である経済学者カルリス・ボロディスの影響を受けました。ボロディスは「未来の国家」という著書で、大きな地域空間の自力独立という、リストに近い経済モデルをロシアに対して提案していたのです。ガルーシュカの著書「成長の結晶」で説明されているように、この経済的な戦略は古典的なマルクス主義よりもむしろ、リストとボロディスから派生したものと考えられます。
この観点からすれば、ソ連経済がスターリン時代に目覚ましい成功を収めたのは、マルクス主義の影響ではなく、ボロディスとリストの理論がその核心にあったのです。事実、スターリン以前と以後のソ連経済は、イデオロギー的には変わらずとも、その成績においては大いに違いがありました。社会主義のドグマ自体は、経済的な効果に関して中立である一方で、そのドグマを実際の状況に適用するかどうかが問題であり、それが成功を左右する要因となっています。
さらにガルーシュカは、このリストのモデルがヒトラーのドイツでも効果を発揮したと指摘しています。経済学者ヤルマール・シャハトは、イギリスやアメリカという先進国の経済力に対抗するために、大きな地域空間の自力独立、すなわち「広域自治」の論理に基づいて行動しました。その結果、再びこの経済モデルは成功を収めたのです。
ロシアの著名な経済学者アレクサンドル・ガルーシュカによって明らかにされた通り、スターリンはリストの信念を受け入れ、カルリス・ボロディスの提案にも耳を傾けました。ボロディスとリストの考えに基づいて展開された経済的アプローチは、スターリン時代のソビエト連邦における急速な成長に寄与しました。ガルーシュカが彼の著書『成長の結晶』で説得力を持って示しているように、成功の鍵はマルクス主義ではなく、これらの経済思想家にあったのです。スターリン以前と以後において、イデオロギー的な基盤は変わらなかったにもかかわらず、経済成果は大きく異なりました。これは、大規模な自給自足の経済モデルが、下からの市民的経済活動と上からの合理的な国家計画とを組み合わせることで効果を発揮するという点に起因しています。
ケインズの経済理論には、一般にはあまり注目されていない「経済的インスレーション」という概念があります。この理念は、私的イニシアティブと公的管理を組み合わせることで、外部市場から独立した経済空間、すなわち「自給自足の島」を作り出すというものです。この考え方は、第二次世界大戦時に対外経済関係が断絶された状況に特に適しており、アメリカがイギリスに対抗して行った経済的孤立主義にも適用されました。実際、ルーズベルト大統領はケインズの理論を採用し、ニューディール政策を打ち出し、その結果として大成功を収めました。
要するに、経済的成功はイデオロギーではなく、大規模な自給自足というモデルに依存していると言えるでしょう。このモデルは、共和主義的なアメリカ、ドイツ帝国(第二と第三)、そしてスターリン期のソビエト連邦においても実証されました。逆に、このモデルから逸脱すると、イデオロギーに関わらず、経済成果は格段に控えめになり、場合によっては存在しなくなる可能性もあります。総じて、大規模な自給自足の経済モデルは、いわば「帝国」のような存在とも言えるのです。
それゆえに、帝国と呼ばれる広大な領域は、単に地政学的な概念ではなく、経済的にも必須であると言えます。この広大な領域は、本格的な経済的主権を確立する唯一の方法とも見なされています。
初めに、関税同盟や地域統合を通じて、文化、歴史、そして文明において近い価値観を共有する諸国家や社会が結びつく形で、閉鎖的な大空間が創出され、その後強化されます。そして、この状況においては、ミハイル・ユーリエフが提案したように、対外貿易活動をゼロに抑えることで、理想的には外部経済バランスもゼロになるわけです。このモデルでは、マネタリズムという考え方は存在せず、全ての貨幣発行は国家によって主権的に行われます。なお、最も理想的なのは、戦略的に重要なプロジェクトに焦点を当てた特別な国家勘定を持つ、二層式の貨幣発行システムです。このような環境下では、通貨の交換は無意味になり、国家は必要な資金を自由に発行できる状況が整います。この基盤が確立された後で初めて、帝国は外部との取引を徐々に開始できるようになりますが、それも厳格な外貿規制の下で行われるべきです。
このように、広大な領域を持つ「帝国」という組織形態は、ただ単に地理的な拡張や文化的な影響力を持つだけでなく、経済的な自立と持続可能性をも実現するための手段ともなるのです。
対外貿易は、オート・アーキー(自給自足の経済体制)の補完として役立つものであり、その代替手段ではない、という点は、過去数世紀にわたりイギリスとアメリカの両帝国を築いたアングロサクソン人にとっても理解されている事実です。彼らの帝国は、初めて大規模な自給自足の経済圏を築いた後、重商主義と保護貿易政策を巧妙に活用してから、ようやく開放された市場経済へと移行しました。だからこそ、経済的に成熟した帝国だけが、市場を開く豪勢を許されるのです。成熟していない状態で市場を開けば、後退、衰退、依存、さらには主権の喪失が避けられない運命となるでしょう。
この観点から、フリードリッヒ・リストは大規模な自給自足の理論、すなわちドイツ帝国の建設についての考えを形成していました。帝国が十分に強力で独立していない限り、市場を開くよりも閉じた状態に保つべきです。その後、段階的に他の経済圏を取り込みながら市場を開くことが許されます。今日の中国が進める「一帯一路」計画も、まさにこの思想に基づいていると言えるでしょう。
日本のエコノミストたちは、おそらく誤って選ばれた文献を読んでいると考えられます。偶然ではなく、これは何らかの意図的な妨害によるものと思われます。適切な文献に目を向けるべき時がきたのです。
翻訳:林田一博