ロシア国民に

ロシア国民に

我々はすでに主権を持つ文明として立っているからこそ、主流の議論を変革する必要があるのです。以前は、私たちが何を言うか、西側の人々や世界社会がどう思うかを恐れ、躊躇していたことを、今こそはっきりと、公に言葉にするべきであり、私たちが「直ちにロシア人民の復活に取り組むべきである。」ということです。

これが真実です。そうでなければ、いかなる労働者の移民に関する取り扱いも-もしそれが友好的なものであったとしても-状況を燃え上がらせ、不安定さを増大させるだけなのです。移民はロシア人民の消滅という人口問題の解決策ではない事は、自明の理です。従って、解答は別の道筋に存在しているのです。

その主なポイントは以下の通りです:

1. ロシア人を産むこと。

これは中絶制限のどのような形も良しとする方針を意味します。しかし、この問題は単に生物学的な問題ではなく、社会的、文化的、さらにはイデオロギー的な問題です。出産には父親と母親が必要で、アリストテレスの考えに照らすと、それはさらに正確には父親と母親が必要であり、父親は存在物に形を与え、母親は物質を供給し、形を育むという役割を果たすからです。つまり、ロシア人を産むためには家族が必要であり、その家族はロシア人の家族、ロシア人の父と母、そしてロシア人の子供たちで構成されるべきです。その基盤としてロシア人の祖先が存在するということは、これは単なる生物学的な生産ではなく、人間の創造という精神的な奇跡であることを示しています。だからこそ、ロシア人の子供の誕生は国民的な偉業として特別な地位を獲得すべきであり、ロシア人の誕生という事実から、ロシア人の家族というテーマへと議論が移行するのです。

2. ロシア人の家族と教育。

これは民族的なアイデンティティーに関する問題ではなく、文化的なコードに関する問題です。家族がロシア人であると言えるのは、自分たちをロシア人民の一部と自認し、その伝統的な価値観を共有し、ロシアの歴史を自身の歴史と見なし、ロシアの生活とその環境を受け入れるときです。ロシア人家族の地位とは、血統や身体的特徴についての問題ではなく、自己認識についての問題です。ロシア人家族とは、一度に多くの意味を含んでいます。この概念はまだ完全に解明されているわけではありません。ロシア人はロシア人家族の中でしか育てられないという事実。家族は個々の人格の構造を形成する場です。ロシア人を産むだけでは不十分で、ロシア人として育てることが求められています。ロシア人の教育とは、ロシア人家族の役割であり、その任務なのです。

3. ロシアの社会。

それは、ロシア人の子どもを産み、育てるということであり、その子に適した社会環境を整備することが必要です。すなわち、その社会環境はロシア的であるべきで、「教育」「職業」「生活様式」「社会構造」「愛国心」といった全ての側面、そして「性」「仕事」「老い」そして「死」へのロシア特有の態度が求められます。ロシアの社会はロシアの伝統的な価値観に基づいて築かれるべきであり、もしロシア人がロシア嫌いのリベラルでコスモポリタンな社会で生まれ育った場合、それは彼自身にとっても社会全体にとっても悲劇となります。ロシア人が世界に自然に存在するためには、その世界はロシア的である必要があるのです。

4. 都市の分散。

人口学における一つの社会学的な鉄則が存在します。:大都市での出生率は小都市よりも低く、小都市での出生率は郊外や田舎、村よりも低いのです。したがって、もし私たちがロシア人口を増加させたいと思うなら、都市から村への移住が必要となります。全ての人々に対して、最も有利な条件で土地を提供し、家を建てる機会を与えるべきです。特に、ロシアの大地に近い一階建ての家が理想的ですが、もし多くの子供たちが必要であるならば、大きな家でも構いません。そして、ローン(子供が多い・偉業を成し遂げた・単に才能がある人々に対して・返済不要も考えられます。)を提供し、ガスと電力を供給すべきです。そうすれば、ロシアの人口統計は飛躍的に増加するでしょう。

5. ロシア文化。

我々ロシア人がロシアの家庭を形成し、ロシアの子供たちを産み、育て、彼らを美しい且つ公平な(公平性は我々の最重要な伝統的価値観であるからです!)社会へと送り出すためには、我々の社会文化は必ずロシア的であるべきです(何れのものでもよいわけではなく、現在のような状況では絶対になりません)。文化は、社会を規定する最も重要な、それどころか基本的な要素であり、それは我々の生きる空気であり、存在の意味そのものです。

6.ロシア経済。

我々ロシア人にはロシア特有の経済体制が必要です。
例えば、イスラム銀行のような利息のない信用システムなどが考えられます。ロシアの経済は、市場を持つ社会を歓迎しつつも、全てが売買される市場社会を断固として否定します(人参は売られ、その他のものは正しい労働と功績により得られます。)根底には農村労働が位置づけられるべきであり(それがロシア民族を形成したのですから)それと並行してハイテク開発の特区が設けられ、田舎暮らしに飽きた情熱家たちはそこに集結するでしょう。(田舎は永遠で、常に同じです。その永遠性を多くのロシア人は好むでしょうが、時間の流れとそのダイナミズム、非線形性に引き寄せられる人もいます。)ロシアの情熱家たちは、これらの科学技術特区で革新的な飛躍を目指し、あらゆるものを発明します。
ロシアの発明家は、世界で最も創造的な人々であり、心配することはありません。しかし、彼らを田舎に留まらせると、善だけでなく悪をももたらす可能性があります。彼らこそが都市に住み、工業に携わる人々です。都市は小さく、コンパクトであり、最先端の科学的発明で溢れています。
そして、ロシア人はその中を自由に飛び交うことでしょう。

8. 非ロシア人について。

非ロシア人についてどうするか。という問題ですが、まず一つ目に、ロシア人としてのアイデンティティを希求する人々は全て歓迎されます。なぜなら、ロシア人たちは開放的であり、誰もがロシア人になる機会を持つべきだと考えているからです。二つ目に、ロシア人は非ロシア人との交流を愛し、彼らとの対話や学び、友情を深めることに興味があります。これは過去にもそうであり、そして将来も変わらないでしょう。三つ目に、ロシア人は帝国の民族であり、運命が結びつけた人々と共に帝国を築く意欲があります。そして、この偉大な大陸帝国ロシアには、誠実さと広い心を持ってロシア人との共存を願う全ての民族に、居場所が確保されているのです。

9. リベラルの問題

緊急な問題として、リベラル派に対してどう対処すべきかということです。ここで二つの道が分かれます。一部は自身をロシア人と認識し、過去の誤解を悔い改める者たちがいます。このプロセスはすでに私たちの社会において大きな波を作り出しています。また、自ら消えて行く者たちもいます。

10. さらに深刻な問題として:ロシア人を憎む者たち。

ロシア人を憎む者たちに対して、どう対応すべきかという課題があります。これこそが我々の立ちはだかる"レッドライン"です。もし彼らがただ単に憎悪を抱いているだけで、我々や我々の友人たちに何の害も及ぼさないのであれば、その状況を考慮に入れ、その間違いを穏やかに説明する努力を尽くします。しかし、もし彼らの憎悪がロシア人に対する悪意ある犯罪行為に発展するのであれば、我々は心から戦争を憎む平和を愛する民族であるロシア人として、やむを得ず彼らを抑制する力を発揮せざるを得ません。

これらがロシアに於ける人口論のプログラムです。私の見解では、このプログラムのすべての項目が基本的に重要です。もちろん、私が見落としている何かを追加することもできますが、それはさほど多くはありません。ロシアの人口論のプログラムはシンプルであるべきです。

それを理解し、受け入れ、実行する、これが私たちの目指す道です。

 

翻訳:林田一博